合図燈・5月号
富良野ー新得間が廃線となり、「北の国から」や「鉄道員(ぼっぽや)」ゆかりの駅が姿を消した。石炭の運搬や開拓のための鉄道施設には多大な犠牲と苦労があり、その甲斐あって駅を中心に街が形成されてきた。▼北海道は広大で積雪地でもあるため維持費も他の地域よりかかり、民営化しても経営が行き詰まるのはわかっていたが、まさかこんなに早くとでも思っていたのだろうか。経営安定基金の運用収益頼みは絵に描いた餅でしかなかった。▼国鉄末期には鉄道の将来を危惧する職員を排除し物言わぬ職場を作り分割・民営化を強行した。あれから37年。職員の選別・首切りに加担した管理者は何を思って過ごしてきたのだろう。JRに移行してからも廃線が相次ぎ列車が走らなくなった線路跡や廃屋となった駅舎をどのような思い出見たのだろう。あの時はそうするしかなかったという言い訳は聞きたくない。(弘)